日に日に寒くなり、野生生物に試練の季節が訪れようとしています。ところが、これから寒くなろうとするこの季節に繁殖を始める鳥がいます。
イヌワシです。皆さんはイヌワシにどのようなイメージをお持ちですか?
大きくて立派な鳥の王様、恐ろしい猛禽類。漠然としたかっこいいイメージはあっても、見たことがない方が大半ではないでしょうか?
今回は、山岳地帯に生息し、個体数も少なく、なかなか見ることのできない鳥「イヌワシ」をご紹介します。
イヌワシは、北海道から九州までの広い地域で確認されています。しかし、その個体数は少なく、さらに繁殖が確認されている生息地は限られます。日本イヌワシ研究会の2014年の報告では、日本におけるイヌワシの個体数は、221つがい程度、これにつがいを形成していない放浪中の個体を加えて約500羽程度としています。主な生息地は東北地方、中部地方、北陸地方などです。
イヌワシのつがいは、山岳地帯に広大ななわばり(100平方km以上ということも)を設け、その中で暮らしています。そのため、イヌワシのなわばりで一日中、空を見上げていても、実際に観察できた時間は数分ということもあります。
イヌワシは翼を広げると1.7mから2mを超える大きさで、体重は重いものでは5㎏もあります。
英名はGolden Eagleで、その名の通り成鳥では後頭部から首の後ろにかけて金色の羽が生えていますが、そのほかは全身暗褐色をしています。そのため遠目には真っ黒に見えます。幼鳥は成鳥よりもさらに黒く全身が黒褐色ですが、尾羽の基部と風切り羽の基部に白斑があり、黒と白のコントラストが目立つため遠くからでもわかります。
幼鳥は数年の若鳥の期間を経て成鳥の羽根になると言われています。ただ、繁殖に参加する年齢はまちまちで、羽根に白い部分が残った状態で繁殖する個体もいます。
イヌワシの声は「ピィッ」や「ピョッピョッピョッ」と聞こえます。しかし、あまり鳴くことはなく、その声を聞くことはまれです。また、鳴き方にも様々あり、中には「クワァッ、クワァッ、クワァッ」と、まるで犬のように鳴くこともあります。
冒頭でお話しましたように、イヌワシの子育ては晩秋に始まり、1月下旬から2月の中旬に産卵します。そのためイヌワシは、しばしば吹雪に耐えながら抱卵することになります。どうして、このような厳しい季節に産卵するのでしょうか?その理由のひとつは長い子育て期間にあります。
イヌワシが卵を抱いている期間は約1ヶ月半、雛が巣立つまでに2ヶ月半から3ヶ月、そしてある程度飛べるようになるまでで1ヶ月程度。そしてこの時期から狩りの仕方を教えます。すると、産卵から独り立ちするまでに、半年以上かかります。イヌワシは次の冬が来る前に子どもを独り立ちさせるために、寒さの厳しい季節に産卵するという戦略をとっているのです。
体の大きいイヌワシは、上手に風を利用してあまり羽ばたかずに飛びます。そのため、巣も上昇気流が起きやすい切り立った断崖にあることがほとんどです。たいていの場合、前年使った巣に新しい木の枝を運び、手直しをして使います。したがって巣はどんどん厚くなっていきます。岩穴の天井と巣の間が狭くなったために使われなくなる巣もあります。巣の中心にススキなどの枯れ草を敷き、凹み(産座)を作ってそこに卵を産みます。
イヌワシは数日の間をあけて2つの卵を生みます。卵はもっぱらメスが温めます。雨の日も、雪の日も。巣が岩のくぼみや割れ目のような雨風のしのげる場所なら多少は過ごしやすいかもしれませんが、屋根のない岩棚や木の巣ではたまりません。しかし、イヌワシは巣を離れません。なぜなら、長時間留守にすると卵が低温で死んでしまうからです。これは、雛がふ化しても自分で体温の調節ができるようになるまで続きます。この間オスはメスに餌を運び、時折抱卵を交代します。
雛の世話するとき親鳥は、鋭い爪で雛を踏みつけないよう指を丸めて慎重に歩きます。雛に餌を小さくちぎって与える親の姿は、実に愛情深く見えます。しかし、数日遅れて第2子がふ化したところから自然の厳しさを実感させられる光景が繰り広げられます。
激しい兄弟喧嘩です。産卵日が数日ずれているため、孵化日にも差があり、第1子と第2子の体格にははっきりとした差があります。第1子は第2子をつつき、体当たりします。たとえ第1子が飢えないだけの餌があってもこの行動は見られるそうです。親はこれに全く注意を払いません。第2子は弱ってゆき、頭をあげて餌をねだることができる第1子だけがすくすくと育って行きます。第2子が弱って死んでしまうと、親鳥はその肉を食べることもあると聞きます。
日本で雛が2羽とも巣立った観察例はあまりありません。死ぬことが多い第2子を産む理由については、餌が豊富な年には2羽を育てることができ、不足した年には第1子に餌が集中することで少なくとも1羽を育てることができる戦略をとっている、という説があります。
日本では森に覆われた山に暮らすイヌワシですが、実は森が苦手です。世界的に見ると、草原などの開けた環境に住んでいるイヌワシが多いのです。翼の面積が同じ場合、長く前後幅の狭い翼ほど効率よく飛行することができ、急な方向転換は不得意と言われます。森のタカ(たとえばクマタカなど)と翼の形を比べると、イヌワシの翼は細長い形をしていて広範囲を移動するのに適していることがわかります。そのため、森に覆われた山に暮らす日本のイヌワシは、世界的に見ればちょっと変わり者といえます。
日本に住むイヌワシも、高山の草原や雪渓、人が作った伐採地、放牧採草地など、開けている場所で狩りを行います。落葉広葉樹の森でも、冬は狩りを行いますが、葉の茂る夏はあまり利用しません。
目の細胞の数から人間の8から10倍の視力を持っていると言われるイヌワシは、1㎞以上先の獲物を見つけることができます。
幾つかある狩りの方法の中でもイヌワシに特徴的なのは、つがいのオスとメスが追い出し役と狩り役の役割分担をして協力して行う狩り方です。この方法は、獲物がどこにいるかわからないなど直接狙うのが難しいような場合に見られます。たとえば、追い出し役のメスが雪渓脇のササ藪の上を低空飛行でしつこく行ったり来たりします。するとササ藪の中に隠れていたノウサギがメスに驚いて、開けた雪渓の上に飛び出します。それを上空で待ち構えていたオスが急降下して捕らえる、というようなやり方です。
捕らえる時、翼をすぼめ気味にして急降下します。獲物の寸前で翼を大きく広げて減速し、足を突き出して長い湾曲した爪でつかみます。爪の威力については、以前、鷹匠の方にうかがったところ、丈夫な革手袋を突き破ることもあるそうです。
雛に与える餌のほとんどはノウサギで、その次に多いのがヤマドリ、アオダイショウです。小さいものではネズミやヘビ、大きいものではニホンカモシカやニホンジカの幼獣まで運んで食べた記録があります。しかし、それらはあくまで例外でノウサギが捕れるのであれば、ノウサギが好きなようです。
イヌワシのつがい数、繁殖成功率は悪化の一途をたどっています。その原因として注目されているのが、狩り場環境の減少による餌不足です。たとえば、イヌワシのつがい数が減少した地域では、夏の狩り場として利用されていた伐採跡地や若い人工林の面積が激減していたという報告があります。戦後の拡大造林政策とその後の木材価格の低迷から林業が衰退し、定期的に伐採が行われなくなったことにより、イヌワシが利用しにくい樹冠の塞がった針葉樹林が広がったことが原因と考えられています。
また、最近では、風力発電の風車にぶつかってイヌワシが死亡するなどの新しい事象もおきています。イヌワシは人間活動の影響を大きく受けていると考えられ、取り巻く環境は刻々と変化しています。
一方でイヌワシを保護する取り組みも進んでいます。とくに林野庁、保護団体、住民が一体となってイヌワシの餌不足を改善しようと、獲物が捕りやすい狩り場を創出する森林整備が各地で行われています。たとえば、イヌワシは等高線と平行に飛行しながら餌を探すことから、森林の整備作業の際に等高線に沿って帯状に森を切り開き、狩り場を創出する等高線方向の列状間伐という手法が、東北地方を中心に行われています。
また、三国山地/赤谷川・生物多様性復元計画(AKAYAプロジェクト)の一環で長年の観察データからイヌワシの利用しそうな場所の人工林を皆伐し、イヌワシの狩り場を創出する試みが始まっています。このプロジェクトには、公益信託サントリー世界愛鳥基金も応援しています。
いずれの活動もイヌワシ保護の最前線に立つ方々によって日々効果の検証と改良が続けられています。いかがでしたでしょうか。イヌワシを見る機会は少ないと思いますが、記事を読んで少しでも身近に感じていただければ幸いです。