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TOP > トピックス 8月 コウノトリからのメッセージ
あなたの町にもコウノトリが飛んでくる

コウノトリは、昭和46年(1971年)に日本の野生個体が絶滅しました。
それは人間の活動により、コウノトリのすめる環境がなくなってしまったから。
しかし、今。
「今ならまだ間に合う」を合言葉に、コウノトリのすめる環境を取り戻そうという「うねり」が全国から起こっています。
「空にコウノトリが舞う日」を夢見る活動を紹介します。

コウノトリがすむ環境

 コウノトリはかつて全国各地で、人の身近にいた鳥です。昭和46年(1971年)に野生絶滅していますが、明治初期ごろまでは全国の湿地や水辺に生息しており、人と共存していた鳥でした。絶滅してしまった原因は、コウノトリのすむ環境の激変でした。

 江戸時代まで、コウノトリは幕府により捕獲が禁じられていましたが、1868年の明治維新とともに銃猟などの制限がなくなり、その大きな肉に商品価値があり、白く目立つ鳥であったことから集中的に乱獲されました。また戦時中は木材の大量伐採のため、松の木に巣をかけるコウノトリは営巣環境を失いました。

 そして現代に至るまで、人間の経済活動によって、餌場である河川や池沼、湿地、水田などが、消失したり、農薬によって餌になる生きものが激減したりしました。人間の活動がコウノトリを野生絶滅へと追い込んでしまったのです。

全長は約1メートル。体重は約4~5キロ。大人のコウノトリは鳴きません。そのかわりクラッタリング(サントリーの愛鳥活動HP「日本の鳥百科」より)といって嘴をカタカタ鳴らします(写真提供/野田市)
コウノトリ復帰へ

 そんなコウノトリにとっての逆風のなか、先んじて兵庫県と豊岡市、多摩動物公園では、コウノトリの飼育・繁殖に取り組み、成果を上げてきました。

 兵庫県では昭和40年代からの飼育・繁殖の実績を元に平成15年(2003年)に「コウノトリ野生復帰推進計画」を策定、平成17年(2005年)にコウノトリの試験放鳥を開始し、ついに平成19年(2007年)に放鳥個体に46年ぶりにヒナが巣立ち、以後、毎年野外で繁殖し、現在(2017年7月)、100羽程度が野外に生息しています。

 コウノトリは飼育して繁殖させ、野外に放つだけでは生きてはいけません。野外繁殖に成功した豊岡市では、市民が民間・行政と一体になって冬にも田んぼに水をはり、一年中、生きものがいる田んぼをつくり、減農薬の農法を進めたといいます。

 コウノトリをはじめとする大きな水辺の鳥たちは、もともとは生息地である里地里山の水辺の生態系ピラミッドの頂点に位置し、その場所で生きていくためには、たくさんの生きものが生息する環境が必要なのです。

関東平野のコウノトリ

 それでは関東ではどうだったのでしょうか。江戸時代には、関東平野にもたくさんのコウノトリが舞っていました。前述した兵庫県や豊岡市の取組を受けて、関東地方の空にコウノトリの舞う風景を取り戻そうという機運が高まり、関東地方の多くの自治体が連携し、「コウノトリ・トキの舞う 関東自治体フォーラム」が平成22年(2010年)に設置されました。

 目的はコウノトリではありません。コウノトリがすめるような水辺環境を関東にとりもどすという壮大なものです。

 フォーラム設置の先陣を切っており、発足時から27年度まで、関東自治体フォーラムの事務局も担っていた千葉県野田市では、その夢を実現するために多くの活動を続けてきました。

 平成18年(2006年)3月。野田市では、フィールドである江川地区を「開発」から「全面保全」へと舵を切りました。当時の根本市長は「江川地区は、水田の復田と昔ながらの農薬を極力使わない農法によって、水生生物や昆虫がもどり、それをエサにする鳥たちも戻ってきました。今ならまだ間に合う、ということをここから学びました」といろいろな機会に発言されています。

江川地区は環境省が選定する「生物多様性保全上重要な里地里山」でもある

 「コウノトリの繁殖・放鳥については、実のところ、市民にすぐに受け入れてもらえたわけではなかった」と野田市の職員。福祉など、他に市としてやらなくてはならない事があるのではないですか、という厳しい意見もあったといいます。

 その意見は真摯に受け止めながらも、「ただコウノトリを育てて、放しているわけではないのです。野田市という、もともとはコウノトリがすめるぐらい生物の多様性が豊かなこの地域を、もっともっと活用することで、我々人間にとってもメリットがあるのです」ということを発信し続けたといいます。

 コウノトリを目の前にした子どもたちへの環境教育や、白くて美しい優美な姿を実際に目にする機会などをつくることにより、このような考え方は市民に浸透してゆき、今では、付加価値の高い農産物の生産を目指しながら、コウノトリと共生できる「環境にやさしい農業」として、黒酢を使った減農薬の田んぼづくりなど、新しい試みが実施されているそうです。

 コウノトリをきっかけに、自然環境や農業、地域づくりに関心が広がっているのです。

 そして全面保全への決意から11年。江川地区の約90haは、ビオトープとして進めていくなかで、カヤネズミやヘイケボタル、ミズアオイなど里地里山に特徴的な動植物や、豊かな里地里山の生態系のシンボルである猛禽類も確認されるようになりました。

ショウジョウトンボ
ヘイケボタル
トウキョウダルマガエル
ムラサキシジミ
サシバ
(写真提供/野田市)
野田市から全国へ
野田市では2015年から放鳥を開始し、2017年の今年で3回目の放鳥を行い、これまで合計で6羽が野外へととび立ちました。コウノトリは長距離を飛ぶためにGPS付の衛星発信機を付けて追跡を行っています。
2017年6月17日の放鳥式では、名前の選考に参加した小学生が「ヤマト」の愛称を発表しました(写真提供/野田市)
今年放鳥された「ヤマト」

見学者の前でくつろぐ「ヤマト」。放鳥当日は大勢の見学者が駆けつけたが、とくに動じることなく姿を見せてくれた

放鳥されたコウノトリは、現在(2017年7月)、山形県や高知県、新潟県、栃木県、千葉県にいることがデータから判明しています。「コウノトリは日本各地を訪れ、野田市のメッセージを伝えてくれています」と野田市の職員
放鳥されたコウノトリには、位置情報を収集するためにGPS付発信機と足環が取り付けれられています。ちなみにこの発信機はサントリー世界愛鳥基金の助成金で購入されており、重要なデータの蓄積ができているとのこと
夢の実現のために

 現在、野田市では、野田市コウノトリボランティアの会が発足し、市民連携による見守り活動やガイド活動、親子学習会などの取組が本格的にスタートしています。

 前野田市長が「野田市だけで頑張っても限界がある。関東自治体フォーラム、そして関東全体、日本全体にこういう活動が広まっていくことが、とても大切だと思っています。コウノトリがそのメッセージを伝えてくれるはずです」と発言しているように、活動には市民を含めたさまざまな主体の協力が必要です。

 サントリー世界愛鳥基金は、このひとつの地域だけではなし得ない、「かつては日本の水辺にいたコウノトリやトキ、ツルなどの姿をもういちどとりもどす」ために、「水辺の大型鳥類保全」部門を立ち上げています。

 今コンテンツで紹介している野田市の他にも、長崎県対馬市と石川県珠洲市の活動が助成先に採択されており、2015年からの3年間で総額6000万円の助成金が贈呈されました。

 「大きな夢の実現のためには、いろいろな場所でメッセージを発信していくことも大切です。そのお手伝いもしたい」とサントリー世界愛鳥基金の担当者は言います。

 かつては狩猟の標的とされた、その白い大きな姿が、今度は、「今ならまだ間に合う。私たちと共生できる」というメッセージのシンボルとなっています。

 あなたのいる地域の空にも、いつかコウノトリがメッセージを伝えに来るかもしれません。

 ★「サントリーからのメッセージ」−未来への糸− Line of life Project

 ■コウノトリを野外で見かけたら、保全推進のために以下にご連絡ください。
野田市自然経済推進部 みどりと水のまちづくり課
〒278-8550 千葉県野田市鶴奉7番地の1
電話:04-7123-1195

こうのとりの里
・公開時間 10時から正午まで/13時から15時まで
・所在地  〒278-0011 野田市三ツ堀369番地
・電話番号 04-7197-1741
・休館日  月曜日(ただし、月曜日が祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日から1月3日)
・駐車場  一般100台
・交通アクセス 東武野田線梅郷駅より茨城急行バスで「野田梅郷住宅」下車 徒歩10分/まめバス南ルートで「しらさぎ通り入口」下車 徒歩7分


今コンテンツ作成の為、お話しをお伺いした3名の方々。一番左が飼育員の森本直樹さん。飼育していると、コウノトリは懐くのですか?と聞いてみると「懐きません」ときっぱり。「でも、ヒナの時分は好奇心が旺盛で、人間に近寄ってきますよ。成鳥になると、基本的には人間と距離を置きますが、やさしそうなお年寄りは好きなようです」とのこと。
右と中央が野田市役所みどりと水のまちづくり課の坂田守利さん・遠山千夏さん。「こうのとりの里」では、飼育しているコウノトリを見ることができ、質問にも丁寧に答えてくれる。

(聞き手/一般財団法人自然環境研究センター主席研究員 安齊友巳)